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中体連敗退とドラッカーの教え [ドラッカー]

--- 中体連敗退とドラッカーの教え ---
 
 
3年間の集大成である中体連が終わった。結果は不本意な2回戦敗退。(1回戦不戦勝)。こんな実力ではなかった。しかし結果が物語っている。失敗は何だったのだろうか。
 
 
-- 小学校、少年団時代
 
彼は小学校時代の少年団でゴールキーパーとしてプレイしていた。小学校時代は戦術、戦略、個人の身体能力など、たいそうなことを考えられる知識も、経験も、頭脳も持ち合わせていない。だから、子供たちが結果に一喜一憂してサッカーを楽しむ機会だと考えていた。しかし、ゴールキーパーと言うポジションは違っていた。孤独なポジションだった。ディフェンスのサポートも不十分に、失点するとゴールキーパーの失点で負けたと言われ続けた。しかし、私は彼に、「ポジショニング、判断など、サッカーの経験が豊富な人たちにはこの試合の敗因は判っている」と伝え、励まし、慰めていた。勿論、判断ミスだったこともある。技術不足でみっともない失点もあった。しかし、なにより、彼を守ってくれる仲間がいないことに絶えられなくなり彼自身が団を去る決断をした。一方、私は大人の事情にうんざりしていたので彼の退団に了承した。入団4年目であった。
 
-- 中学校、部活の幕開け
 
2年間のブランクを経て、部活動でサッカーを再開した。今度は心気一転、フィールドプレイヤーとして活躍の場を求めた。当初はその希望通り、どこのポジションかはともかくフィールドプレイヤーとして日々練習を行っていたが、何がきっかけだったのか忘れてしまったが、再びゴールキーパーとし起用されることが多くなっていった。また同じことが繰り返されることは望んでいないので十分に彼と話しあったが、「少年団時代とは違うだろうし、そういう見方をする人もいるが大丈夫だ」と彼が考えていたことと、彼自身が「チームの中で貢献できるポジションなのであればそれを受け入れてベストを尽くす」と考えていたことに共感した。その考えはとても素晴らしく、強いチームを作るためにがんばってほしいと私は願った。
 
-- 転機の訪れ
 
中学2年になったとき、上級生部員が少なかったせいで多くの2年生がレギュラーとして起用され、多くの実践経験を積むことができた。やがて3年生も引退し、頼れる先輩がいないことを自覚した彼らチームはさらに多くの事を学び期待した成果以上のプレイを見せるようになり、我々や顧問、そして彼ら自身も翌年の活躍を期待した。確かにそのときはそれを感じられる気がした。ひたすらに、がむしゃらに、考え、成果を少しずつ上げていくようになってきた。
 
-- 不協和音
 
問題は必ず起こる。想定内、想定外のどちらも起こる。その問題に対して適切に対処できていたか、その前にその問題が本質的に何なのか、何を意味するのか、どういう影響を与えるのかを判断しなければならない。
 
そして問題は起こった。だが、問題の対処が間違っていた。責任の所在を曖昧にした。その結果を不満に思う部員が出てくる。当然だろう。チームの一体感を乱し努力を無にされて、どうしてチームに貢献できるか。そして問題はその後も起こった。これは起こるべくして起こった。曖昧で腑に落ちない対応のせいで、チーム内にはあきらめや問題を無視しプレイに集中するといった雰囲気が出来てきた。切り替えてプレイに集中するのは良いことだが、人間そんなに単純ではない。高度なチームプレイを要求されるサッカーでこの先のプレイに影響が無いとは考えられない。
 
かくして、不協和音が響き渡る。
勝てない。失点する、失点しなければ負けない、ゴールキーパーのせいで負けたとチームメイトや顧問からも影口を叩かれた。本人のいないところで批判された。しかも彼はそれをチームメイトから聞かされた。ショックだろうし、信頼も信用も出来なくなるだろう。また繰り返される孤独と挫折。ただ違ったのは、「お前のせいではない、点数を入れられないことにも責任がある」と考えるチームメイトがいたことだ。こう考えてくれるチームメイトとサッカーが好きだという自分の気持ちと、チームに貢献して自身の責任を果たすという気持ちがが強くあり、気持ちが折れることなく部活を続けていくことが出来ていたようだった。同じように、だれそれが悪いという批判が噴出し、勝てない理由でなく負けた理由を探し出すようになり、その理由を個人のミスや能力不足に求めるようになっていく。こうして人が腐り、チームの形はあっても内面は崩壊していく。 人が腐るのではなく、腐らせる土壌がそこにあった。
 
-- 不本意な結果
 
3年間の集大成である中体連が終わった。結果は不本意な2回戦敗退。(1回戦不戦勝)。
こんな実力ではなかったハズだった。
 
・「時間とはもっとも消えやすい資源である。」
(「マネジメント、マネジメントの役割」より)
 
時間は何もしなくとも過ぎてゆく。どこまでやれば十分かなど誰にもわからない。しかし、何をすべきかを決め目的を持って取り組むことにより、より良い成果につなげることは出来る。
2年生の後期に夢見て目指した、漠然としていても確実にみんなが考えていた「結果」はもろくも崩れ去り、3年間の結果が明らかになった。あの時感じた可能性は開花することなく枯れていった。それとも私の幻想だったのだろうか。
 
 
-- 大切なこと
 
レギュラー陣は運動能力や技術の優れたものが選ばれる。当然と思う。しかし、それだけでは足りない。足りないからこそ成果に結びつかなかった。我々の求めた成果は何か、そのために顧問、リーダー、レギュラー陣、他の部員がチームに何をすべきか、どういった貢献をするのか、しなければならないのか、考えが足りなかったと思う。直接の結果に結びつくレギュラー陣が、それが「ゲーム上のプレイだけではない」ことに気づいていないのは致命的だった。
 
・「完全な人間、強みだけの人を探したとしても結局は平凡な組織を作ってしまう」
(「経営者の条件、人の強みを生かす」より)
・「存続と健全さを犠牲にして、目先の利益を手にすることに価値はない」
(「マネジメント、マネジメントの役割」より)
 
個々に優秀な選手がそろった。しかし、チームが出来ていない。
戦略や戦術の理解不足ではなく、もっと大事で選手が全てを注ぎ込む「それ」が欠けていた。
この、「それ」を作り出せなかったことが成果を生まない全ての原因であり、「それ」が危ういシグナルは決して軽視してはならないし無視もできない。
 
部活動は卒業とともに人が入れ替わるが、公立学校でも継続して強いチームがある。こういったチームは「それ」を後輩に伝えていくことの出来る組織なのだろう。
 
おわり。

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